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北海道は「さる」文化 [めんそーれ北海道]

 昨日の昼間、新聞のテレビ欄を見ていたら、「嵐にしやがれ」の再放送、ゲストが大泉洋だというので、つい見てしまった。その中で北海道に関するクイズを大泉君が嵐に出題する(という設定の)コーナーがあったのだが、そこでの問題にこの「さる」が出てきた。

 「”押ささった”とはどういう意味か?」

 たとえば、携帯電話の操作ミスで掛けるつもりのない相手に電話をしてしまうことがある。そういうときわれわれは「ごめん、押ささったんだ。」と事情を話し、詫びる。番組中では「間違えて押してしまうこと」と説明していたが、これは正確ではない。

 北海道弁の「さる」は文法用語で言う「自発」に近い意味を持つ語である。たとえば、溶剤が揮発したりしてペンが書けなくなった状態のことを「書かさらない」と言う。これだけだと「可能」を表しているようにも見えるがそうではない。「書かさる」、つまり何も特別なことをしなくても自然発生的にすらすらと書ける、という状態が実現されない、ということを表現しているのだ。

 もう少し例を挙げよう。自分が学生のころ、コンパの司会者の第一声は「皆様、グラスにビール(飲み物)は注がさりましたでしょうか?」であった。共通語に訳せば、「グラスにビールが注がれている、という状態は実現されているか」と問うたのである。「注ぎましたか」や「注がれましたか」では、その行為の主体を意識せざるを得ない。「注がさって」いる分にはそれでも問題はないのだが、そうでない場合、周囲にビールを注ぐという宴席での義務を怠っている者、グラスがまだ空であることを周囲に気づいてもらっていない者を間接的に咎め立てするようなニュアンスが生じてしまう(ように北海道人である自分は感じる)。

 ところが「注がさる」の場合、グラスは、その主体は不問のまま、あたかも自然現象のように注がれた状態になっているか、と問うているので、仮にそうなっていなかったとしても、その責任は誰も負う必要がない。これが「さる」の効果なのだ。従って、「押ささった」の正しい訳は「(私は何ら責任を負う位置にいないけれど)知らないうちにキーが押した状態になっていたんだ」である。

 沖縄には「てーげー」文化というのがあるそうだ。細かいことに拘らず、だいだいで良いではないかという精神である。それが沖縄の発展を妨げているという説もあるが、一方、北海道人の根っこにはこの「さる」に流れる「誰も責任を負わなくていいよ」という精神が間違いなくある。取りあえず海草や貝などを捕ってどうにか一年中くらせそうな沖縄と違い、冬になれば即生命の危機に瀕する土地に住む道産子が大らかに見えるとすれば、きっとこのせいだろう。
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寒いホテル [めんそーれ北海道]

 仕事で現在出張中。

 泊まったことがない町だったので、ネーミングとウェブページの情報だけで予約をしたのだが、予想よりこぢんまりしたホテルでちょっと名前負けという感じもした。

 それでも外観やロビー、フロントはビジネスホテルとしては平均的で、まあ、今風の大手チェーンのものとは違った好もしさを感じさせたのだが、部屋に入ってびっくり。見かけより古いらしくかなりたばこ臭い。数年前までヘビースモーカーだった人間がそう感じるのだから、たばこが苦手な人には居られないかもしれない。バスルームも、昔々安ホテルでよく見かけた、大柄な人間はヨガの心得がないと全身漬かれないタイプのうえ、やはりしけっぽいにおいが充満している。

 激安ばやりのご時世なので特に安いという値段でもないが、別に高くもなかったのでここまでは許容範囲だと思うが、何かこのホテル、寒いのだ。最初、窓側から冷気が来るので二重窓の一方でも開いているのかと思ったが、別にそういうことでもない。部屋には温風ヒーターがついていて、スイッチを入れると確かに暖くはなるが、足下は涼しいまま。ヒーターを入れっぱなしで寝るのも嫌だったので切ってから寝たが、朝方、足下が寒くて目覚めてしまった。もともと枕が変わるとよく眠れないタイプではあるが、ホテルに泊まって寒さで目が覚めたのは初めての経験だった。

 そのあとはよく眠れないまま、6時頃、新聞でも読もうとロビーに向かうと、廊下もロビーも寒い。道内のホテルなのだが、室温の基準が本州仕様である。北海道仕様の身体しか保たない身としては新聞を斜め読みして部屋へ逃げ帰った。

 村上春樹ばかり読んでいたからだろうか、思わず「いるかホテル」を連想したが、残念ながら耳のきれいな彼女もおらず、向かい側に美女の居るオフィスもなかったことは言うまでもない。

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都市の分水嶺 [めんそーれ北海道]

 所用で旭川まで出かけ、昼間時間ができたが足がないので買い物公園周辺をうろうろすることとなった。

 この買い物公園は、当時の五十嵐市長が全国に先駆けて駅前からのメインストリートを歩行者天国化したもので、あまり車を気にせず快適に商店街を見て歩くことができる。商店が存在すれば。

 旭川には何度か訪れてはいるが、地方都市の例に漏れず、来る度に中心部からまともな商店が消えている。丸井今井が閉店したことは道民ならご承知のことと思うが、土曜日の昼だというのに、快適な時を過ごすところどころか、まともな昼飯を食わせてくれそうなところすらろくにないのだ(旭川ラーメンは大好きだが、あいにく今日はラーメンの気分じゃなかった)。

 食事はけっきょく今風のチェーン店のそば屋で済ませ、残りの時間は旭川西武で過ごすこととなった。

 西武に行けば、小規模ながらロフトもあり、無印良品もありで、必要不可欠ではないがあったらちょっとうれしいもの、実用一辺倒ではなくちょっとしたデザイン性を有しているもの、を見て回ることができた。ユニクロやしまむらの商品ではこうは行かない。

 だが、この旭川西武、丸井今井が閉店という話がなければ、実は閉店していたはずなのだ。そうなれば丸井が残ったのかもしれないが、どちらにしろ、文化の薫りが旭川から消えていた可能性は高く、そして今後いつまで西武が存続するかだって未知数だ。

 駅前百貨店文化自体、前世紀の遺物であるという意見もあるだろうが、少なくとも大丸札幌店は顧客の支持を得ている。百貨店そのものがいけないわけではないはずだ。

 別に西武流通グループに何の義理もないが、旭川西武を存続させられるかどうかで、大げさに言うと北海道の各地方都市が「都市」でいられるか、それともただ人口が若干多い地方となるのかが決まる気がするのだ。
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下らない話 [めんそーれ北海道]

 「下らない」の語源は、江戸時代、関東で作られる酒は評判が悪く、上質の酒は灘など上方から下ってきたものであったことによる。その伝で行けば蝦夷地の酒など馬のしょんべんと言われても仕方ない。
 
 道産清酒でもっと酔って 消費率回復3割台目標「酒チェン」を加速---北海道新聞
 北海道酒造組合(札幌)とホクレンが7月から、道産清酒の消費拡大運動「酒チェン」を本格始動させた。道産清酒の地元消費率は現在、全国最低レベルの2割強で、3割台回復が当面の目標。消費低迷に悩む道内酒蔵と、酒米を生産する農家を支援するのが狙いだ。関係者は「道産清酒は味の評価が高い割に、売れ行きが伸び悩んでいる。『米チェン』とともに、『酒チェン』も後押ししてほしい」とPRしている。

 子供の頃は北海道の町々に蔵元があって、地域色豊かではあったが、そのほとんどは三倍増醸酒で、とてもじゃないが他人様にお勧めできるような代物ではなかった。そのせいもあって多くの地酒は本州資本の大手に駆逐され、今では数えるほどしか残っていない。幸い、その後の地酒ブームで幾分息を吹き返したが、それにしても「酒造りが盛んな近畿(81%)や東北(73%)のほか、関東(37%)」の地元シェアに対して北海道は今や21%、関東の「下らない酒」に遠く及んでいない。
 
 なんでこんなことになるのかというと、まずは、道産清酒は特別旨くない、ということになろうか。もちろん味に関しては好みに左右されるところが大きいし、自分だって道産のお酒をすべて飲み比べたわけでもないのだが、少なくとも4合で2,000円以内ぐらいの飲み頃ゾーンで「旨い!」ち言うほどのものに巡り会っていないのだ。以前呑んだ根室の「北の勝」の絞りたてはフルーティで結構いい感じだったが、地元の酒屋でしか扱っておらず、一升売りだけで、火入れしていないためうっかりしていたら腐らしてしまう。あとは自分からすると、まずくはないよ、というレベルでしかない。であれば、無理に道産にこだわらずとも安くて旨い酒は日本中にたくさんあり、今や田舎にいても容易に手にはいるのだ。
 
 要するに、これまでは流通の関係で競争相手は大手の大量生産品だけだったので、それなりのレベルでも何とか太刀打ちできていたから1985年段階でもまだ道産シェアは42%あったが、逆に地酒ブームのせいで本州の中小の蔵元の良質のお酒も北海道に入りやすくなったために、安さでも味でも対抗できなくなった道産清酒のシェアは低下した、ということではなかろうか。
 
 そもそも、単に酔っぱらうのが目的で味は二の次という方が割高な日本酒を選ぶことは決して多くはないだろうし、その場合でも量販店で紙パックに入って売られている粗悪品が選ばれるだろう。一方で、少なからぬ人が1升1万円もするような酒を珍重したりしていたが、それらの酒の多くは地元では決してそんな値段では売られておらず、単に入手困難だからという理由からの高値であって、2,000円の酒の5倍旨いわけではないのにそれが売れるということは、人々は日本酒そのものではなくて、人気があり、高価であるという記号を呑んでいるのにすぎないということになる。その点でもネームバリューに乏しい道産清酒には勝ち目はない。
 
 残る道はやはり、良心的な価格で上質な日本酒を造るしかない。水自体は決して悪くはないはずだし、道産の酒造好適米も増えてきた。本州の人に「北海道の酒は旨いんだ」と胸を張って言えるような日が来ることを心から祈っている。また、それが果たせなければ、道内から日本酒の蔵元は消え果てるだろう。
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再び、道民のホスピタリティ [めんそーれ北海道]

 先日、所用で釧路に出かけてきた。以前道東に住んでいたこともあり懐かしい町だったが、中心部のさびれっぷりは想像以上であった。
 
 写真の通り、元丸井今井釧路店、それ以前は丸三鶴屋だった建物は看板がはずされただけでそのまま放置(ではないのだろうが、空きビル状態である)。周辺の商業テナントビルも軒並み閉鎖、画材などを除きとても北大通界隈では買い物にならない状態であるのは間違いない。そういえば以前あったはずのケンタッキーもついに見つけられなかった。
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 その代わり往時にもなかったほどホテルが林立、いや乱立している。昔よく行っていた頃にはなかったホテルが5つ6つは確実にできているのに加えて、さらにもう1軒建設中であった。いったいどんな人たちが利用するというのであろうか。もっとも自分も今回そういうホテルのひとつに泊まったのではあるが。
 
 ホテルを早めにチェックアウトし、和商市場を覗いてみたが、こちらはそれなりににぎわいを見せていた。ただし自分がほしいものは見あたらなかったためちょっと足を伸ばしてフィッシャーマンズワーフMOOまで行くことにした。道外の人はもちろん、道内でも釧路に不案内の人にはピンと来ないだろうが、釧路川に”くーちゃん”が来ていた頃時々背景に写っていた黄色い壁の大型商業ビルである。もともとは西武資本が入っていて、観光みやげだけでなく地元の人間向けのテナントも入っていたと記憶しているが、今は西武は撤退し、空きスペースはお役所関連の施設が埋めたので、なんだか中途半端なおみやげ屋に落ちぶれてしまっている。
 
 たとえ本意ではなかったにしろ「おみやげ屋」でしかなくなってしまったのならしまったでそれに徹すればいいのに、そうならないところが北海道全体に言える悪弊である。先ほども書いたが、自分はホテルを早めにチェックアウトしたために、MOOについたのは10時少し前であった。中は明るいので当然営業しているものと思ってドアに手をかけると開かない。よく見るとチェーンでドアが止められているではないか。ついに閉鎖になったか!と一瞬早合点したが、中を見ると従業員らしき人の姿も見え、どうも開店準備中という雰囲気である。よく見ると営業開始は10時からと書いてあるではないか。
 
 今日びスーパーだって9時開店は珍しくないご時世に、100%観光客ターゲットの施設がこれでいったいどうするのか。地元の人間ならばゆっくり家でくつろいでから開店時間にあわせて出かけるということもできるかもしれないが、観光客は時間の融通が利かない。まして、あまりくつろぐには向いていなさそうな安ホテルばかり林立させている釧路で、10時チェックアウトまでのんびりホテルにいる観光客がどれだけいるか。釧路市がオーナーだからだろうか、この「武家の商法」ぶりには全く恐れ入る。それでいて物販部分は夜7時には閉めてしまうのだ。名所をあちこち回るつもりの人間なら来店をあきらめるか、知らずに訪れて利用できず、気分を害するかのどちらかではなかろうか。
 
 いやそもそも観光客など来やしないから早くから開けるだけ損なのだと言うのかもしれない。だが、この日たまたまそうだったのかもしれないが、10時開店と同時に結構な数の客が訪れ、見て回っている間にその数はさらに増えた。せめて朝9時から夜8時ぐらいまで営業したら観光客に喜ばれると思うのは自分だけであろうか。
 
 以前「沖縄にあって北海道にないもの」と題して、北海道民の観光客に対する姿勢の問題を指摘したことがあったが、われわれにはやはりホスピタリティが、またはそれを他者にわかるように態度や行動で表す能力が欠如していると言わざるを得ない。くーちゃんが国後方面に帰ってしまったのは気候のせいだろうが、このままではやがて北大通から雨後の竹の子ホテルさえも消え果てるであろう。完璧なシャッター通りの完成である。釧路駅からロータリーまですべて廃ビルになれば、廃墟マニアが集まってくるかもしれない。
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もう一度「ウポポ」が聴きたい [めんそーれ北海道]

子どもの頃は毎朝、毎晩ラジオが友達だった。さすがにぎりぎりでTVがない時代ではなかったが、夜は平凡パンチ提供の「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」や集英社提供の「欽ちゃんのドンといってみよう!」などを聴きながら眠るのが日課だったし、朝早く目が覚めたときも枕元のラジオに手が伸びた。そして朝5時前に目が覚めたときや林美雄のパックインミュージックを聴いていて朝を迎えたときなどは、深夜枠の番組が終わり今日の放送が始まる際にHBC(北海道放送)ラジオから流れるインターバル・シグナルを聴くことができた。この曲は、一日の始まりを告げるにはやや重苦しく、土俗的で重厚な曲であったが、アイヌ民族の民謡にも似た旋律を奏でる木管の響きと締めくくりに流れるハープの音が非常に印象的で、『ゴジラ』のテーマにも似たこの曲がしだいに好きになった。

気がつくとラジオを聴く機会も減って、HBCラジオのインターバル・シグナルを聴くこともなく、その曲のことを思うこともなくなったのに、最近、ふと思い出して、今でも流れているのだろうか、機会があればまた聴きたいものだと思っていたら、縁は異なもの、3月9日の北海道新聞にこの曲に関する記事が載ったではないか。

故伊福部さん作曲、HBCテーマ曲 「ウポポ」半世紀ぶり再現

この曲「ウポポ」(アイヌ語で「歌」の意味)は昨年二月に亡くなった伊福部昭さんがアイヌ古謡を主題に作曲した木管、ホルンなどによる三十五秒ほどの作品。一九五二年三月の営業放送開始直前にHBC東京支社で録音し、二〇〇二年二月まで、放送開始を告げるテーマ音楽として当時の録音のまま流してきた。


『ゴジラ』のテーマに似ているのも当然、睨んだとおり作曲は北海道が産んだ偉大な作曲家伊福部昭氏で、長い曲の一部かと思っていたらラジオで聴いた長さしかない小品で、もう今となっては流されていないこともここから知った。もう聴けないとなると無性に聴きたくて、今も頭の中では記憶の中のあの曲が流れているままだ。

この曲の楽譜は最初の4小節分しか残っておらず、音源から楽譜を起こしてHBCジュニアオーケストラがチェコで演奏する予定だそうだが、われわれが聴くにはどうしたらいいのだろう。HBCには録音が残っているはずで、同局の開局に向けて作曲され、最初の放送の冒頭をも飾った「Thema JOHR」(JOHRは北海道放送のコールサイン)とも呼ばれるこの曲をもう一度聴けるようにはならないものだろうか。


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龍神昇天? [めんそーれ北海道]

きのうの陽気に誘われて外出先で出会った雲。飛行機雲?

昔の人はこういうのを見て、龍が天に昇る姿を想像したのか?


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沖縄にあって北海道にないもの [めんそーれ北海道]

北海道新聞のウェブサイトによると「北海道旅行は、回数を重ねるほど飽きてくる」という傾向が明らかになったのだそうな。全くもってむべなるかな。この記事中では沖縄とも比較し「観光地としてライバルの沖縄は対照的に、旅行回数が増えるほど満足度が高くなる傾向」があるのだそうだが、これもまた納得というほかない。

沖縄と北海道はともに「内国植民地」=「外地」として扱われたという点では同じであるが、以前沖縄に行って感じたのは、琉球王国として独自の文化伝統を持っていた人々の末裔たちがその独自性を大切にしている沖縄には北海道は到底勝てそうにないということであった。所詮北海道は先住者を迫害し、我が物顔にのさばった流れ者たちの国であり、独自の文化と呼べるほどのものはない。

那覇の牧志市場のあたりを歩けば、お店の「おばあ」が声をかけてくる。品物を売りたいがためでは多分ない。お客に対するもてなしとして、話しかけてくれるのだ。こども連れなのを見てとると、お土産としてちょっとしたお菓子を持たせてくれる。そのために用意していたものではない、明らかに自分用のおやつを分けてくれたものだ。ホスピタリティとはこういうものなのだと実感する。

一方、札幌のマチを歩いて声をかけてくるのは下心100%の客引きたちであり、地下街にしろ狸小路にしろ、よそよそしい人の波が流れているばかりである。

よく、北海道は「自然一流、サービス三流」という。ここでいう「三流」はつい組織立ったものをイメージしてしまうが、それ以前の、もてなしの心の時点で三流なのだ。

道内旅行、行けば行くほど飽きる 政策銀、北大、道が道外客の満足度調査---北海道新聞


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「北村」村の話 [めんそーれ北海道]

この3月27日、また合併で北海道に5つの新自治体が生まれ、大合併が始まる前は212市町村が182となった。

先日の合併で留辺蘂(るべしべ)、端野(たんの)、常呂(ところ)を合併した北見市は、ただでさえだだっ広い網走管内を横断する巨大自治体となって、明らかに総身に知恵がなんとやらという状態に見えるが、他の合併も大同小異、少しは福島県の矢祭町でも見習ったらどうかという有様だ。その中で今回、皮肉なことに合併によって本来のアイデンティティを回復したところがある。北村だ。

北村といってもご存じない方も多いだろうが、ここは「北」村ではなく、厳密には「北村」村となるべきところであった。このあたりに大農場を開いた北村雄治の姓にちなんでつけられたものだからだ。万が一、将来町制施行などということになったら、北村町になるのだと昔は思っていたものだ。それが今回の合併で「岩見沢市北村」となった。この「村」は行政区画ではなく、とうぜん「北村」の「村」だろう。

北見と端野町などもそうだったと思うが、北村と岩見沢も、もともと町が開けたころはひとつの行政区画だったものが、発展に伴って別の町となったものである。それがまたひとつになるということは、結局、独立する前と同じぐらいの姿に衰退したということなのだろうか。ちょうど、人が年老いて赤子のような姿に戻るように。

なお、北村は周辺に先駆けて公営温泉をつくり、評判となったところである。大人日帰り入浴500円。それほど上質ではないが、北村温泉の名前入りタオルも売っていたはずなので手ぶらでも入浴可能だ。

5市町新たな船出 岩見沢/名寄/洞爺湖/むかわ/安平 自治体合併---北海道新聞(すぐリンクが切れる可能性大)
岩見沢市役所北村支所のページ


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短靴を履いた日 [めんそーれ北海道]

今朝、久々に「短靴(たんぐつ)」を履いて出勤した。この何とも言えない解放感は雪国の者にしかわからないだろう。

そもそも「短靴」とは「長靴(ながぐつ)」に対しての言葉で、運動靴、スニーカーなどくるぶしが出るようなごく普通の靴全般を指す。最近は除雪事情もよくなり昔ほど長靴は必需ではなくなったが、少々不格好でも、吹きだまりだろうが水たまりだろうが気にしないで歩けるHeavy Dutyさが魅力である。

そのように自ら進んで履いている場合でも、地面の雪が溶け、長靴が、がぼん、ぼこん、と虚しくアスファルトにこすれる音を立てるようになると雪国では春なのだ。短靴を久しぶりにはいたときの解放感、それは単に足下が軽いからだけではなく、長い冬が終わった解放感にほかならない。

ただし、ここ数年、長靴のようなブーツを履く女子高校生も多い。彼女らは雪も降る前から履き始め、雪が溶けてもしばらく履いていたりする。この子たちにとっては、短靴に履き替えるのはさびしいことなのかもしれない。

なんてことを昨日書いたまま放って置いたら、今日は朝から厳しい雪である。やはりこの時期の北海道は侮れぬ。


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